2011年4月13日水曜日

東京の古墳と古道を組み合わせたくなってきた

にわかに仕事が忙しくなると
頭の中がしばしば現実を逃避し、
過去のこととか未来のこととかエロいこととか妄想をはじめるわけで、
ふと、古墳分布と古道って関係あるじゃん、と思ったわけだ。
東京に多く残るのは6〜7世紀の古墳で、その頃には武蔵国はすでにあった。
「武蔵」という表記になったのや府中に国府が置かれたのは8世紀だけど、
日本書紀に書かれているように6世紀には「むさし」という名前の国はあった。

「むさし」の語源はなんだろうとググってみると、
今の埼玉・東京・神奈川をひっくるめた「むさ」の国があり、
それが分かれて「むさがみ」(上)と「むさしも」(下)になり、
むさがみ→さがみ→相模
むさしも→むさし→武蔵
となったのだというのであるが、ソースがよくわからず、信憑性はいずこか、
ふさの国が上総・下総、毛野の国が上野・下野、となったように
上下は国名の前に付くのが普通。
後ろに付いた例は聞いたことがない。

で、6〜7世紀の武蔵野はというと、古墳分布を見るとわかるけれども、
多摩川沿い台地や微高地の縁に大量に並んでおり、さらに同じパターンで海沿いの台地縁に品川の古墳や芝丸山古墳群や擂鉢山古墳があり、北側の隅田川沿いの台地縁に回ると田端あたりに古墳群があり、飛鳥山に古墳があり、赤羽台に古墳群がある。

府中と品川を結んでいたといわれる道は後の「品川道」より多摩川近くを通っていたといわれ、その道筋には古天神古墳や下布田古墳群があり、その先には狛江古墳群、慶元寺古墳群のど真ん中を抜ける。

そこから台地に上って、小さな古墳がいくつかあり、そのまま台地上を多摩川に沿って進むと、稲荷塚古墳や野毛大山古墳があり、その先はいわずもがな多摩川台古墳群と鳴って丸駒で続く。

「東京古道散歩」で推定した、品川道や古代東海道にほぼ沿ってるじゃん。
もうちょっとその辺に言及すればよかったな。

大きな集落があれば必ずそれらをつなぐ道がある。
多摩川や近海を使った水路と陸路の両方があったろう。

もうひとつ、当時大きな力を持っていた、埼玉の氷川神社方面ともつながってたはずで、
古墳分布と地形を中心に、古墳時代の古道をでっち上げてみるのも楽しいじゃないかと
思った次第。

時間がないので思っただけだけ。

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