2013年1月27日日曜日

個人がメディアになったなあ-1995

ぼーっとTwitterやらFacebookやらONETOPIやらを見てたら、急に思い出した。
1995年の秋、
マガジンハウスのBRUTUSにこんなコラムを書いたのを。
 パソコン通信やらインターネットやらを観察していて一番面白いのは、「個人」である。特に露出される個人と、恋愛する個人。どっちも根っこは同じところにある。メディアの力に巻き込まれているのだ。踊っているつもりで踊らされている。無意識のうちに露出される自分自身。終わりのない伝言ゲーム。そして彼らはメディアに無自覚なのである。
 どうしてそうなるのか。みんなを電話にするのがNTTパーソナルなら(電話になんてなりたかないが)、みんなをメディアにするのがデジタルネットワークだからだ。かつて私は世の中全体が「森羅万象デジタル化計画」に向かって着々と進行していると書いた。メディアのデジタル化はその一歩であり、メディアがデジタル化することでひとりひとりの個人がメディアになり、今度は「人類メディア化計画」が走り出したのである。凄い世の中だ。でも、大多数の人々は自らがメディアになるということに無自覚だし、畏れを知らない。個人のホームページでは日記やら自分の写真やらでプライベートが露出され(何しろ、他に見せるべきものがないのだ)、電子メール恋愛は行間から勝手に甘い言葉を読み取ることで成り立つのが現実。自分がメディアになるってことは、自分自身がダイレクトに露出されることだし、不特定多数に向かって見せたい自分だけを出せる人なんてそうはいないからだ。
 メディアとしての個人は適切なフィードバックによって成長していく。でも、ホームページや電子メールにそれを望むのは酷。だから、人々は個々の欲望と幻想に向かって邁進して行くしかない。もしかしたらあと数年で「ホームページにおける自分の表現方法」なんてハウツー本が必要になるかもしれない。今のうちから企画書でも書くか。
18年前っすよ。日本がワールドカップに出る前ですよ。
人類メディア化計画なんて……若いっておそろしいな。

まあ細かいところは18年前の時事ネタなので目をつぶっていただくとして、
(SNSどころか、ブログなんて言葉も影も形もない時代だし)
有料メルマガといい、某女史のサバイバルキットといい、無数のニコ生ブログTwitterFacebookなどなど、気がついたら、個人がメディアになる時代がやってきてたんだなあと、ちょっと感慨にふけってる次第。
こんな昔のコラムを引っ張り出すなんてわたしも歳をとったもんです。

で、18年前にこんなことを書いてたわたしはいまどこで何をやってるかというと、朝から公園にでかけて、猫のヘンな写真撮って悦んでるのでした……orz。
いいタイトルを思いつきません……orz
XZ-2、大活躍しております。よく撮れます。


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