2011年6月17日金曜日

天皇陵の解明

いわゆる「天皇陵」ってほとんどが江戸時代の研究成果をベースに明治時代に定められたもので、
「正しいかどうか」より「全天皇の陵墓がきちんと定められてる」
ことが大事だった頃の代物だから、
古いものはかなりデタラメだったりあやしかったりするらしいけど、
宮内庁が発掘どころか立ち入りも認めてないので
多くの学者が忸怩たる思い……って話を聞いたことがあって、
それがずっと気になってて
買ってみたのが「天皇陵の解明―閉ざされた「陵墓」古墳」。


執念の書、というか、一般向け平易な解説書じゃないので
興味ない人や基礎知識がない人はわけわからんとこもあるけど、
奈良時代以前の天皇陵で、ほぼ実在の天皇陵と比定できるのは、
・天智天皇陵(大化の改新で活躍した中大兄皇子ですな)
・天武・持統天皇陵(天武天皇は壬申の乱で大友皇子を破って天皇になった人で、持統天皇はその皇后。天武天皇の死後、天皇となった)
のふたつだけという。そこまでだったとはびつくり。

まあ、初期の天皇は実在があやしいので当然としても、
古墳の築造年代と天皇の年代が合わないものもあり、
明治期に駆け込みで無理矢理比定したり
根拠に乏しい陵墓もあり、
「記紀」などの記述と現地の伝承だけが頼りだったっぽいから当然か。
であれば、考古学が発達した現代に調べ直せばいいのだが
本書後半は
宮内庁に何度もつめよったけど、
現地を調査をさせてもらえないという話などが続く。

なんだかんだと宮内庁は理由をつけて断ってるんだが、
陵墓が聖なる場所だった戦前までならいざしらず。
専門家の調査は認めるべきだろうに。
大山古墳(伝仁徳天皇陵)。2003年撮影。
大山古墳も仁徳天皇陵とされているけれども、
この辺に大きな古墳が3つあり、それぞれ仁徳天皇、履中天皇、反正天皇と比定されてるが、
この順と古墳築造推定年代の順に矛盾があるとか。
でもこのあたりなのは確かだから、おおはずれではないか。

まあ発掘したからといって被葬者がすぐわかるわけではないが
(何しろ弥生末期から古墳時代の話なのだ)、
少なくとも日本の古代について新発見があるだろうし、天皇陵じゃないと判明したら、
指定を外して公開すればよいわけで。
今更、明治時代の指定に無謬性なんて求めてないからさ。

実は
天皇以外にも宮内庁管轄になってて立ち入り禁止になってる皇族系のお墓がある。
面白いところでは「一休宗純」。
一休さんのモデルとなった室町時代の臨済宗の禅僧で、五山から離れて庶民の中に生きた。
「一休とんち咄」はその頃の知名度をベースに江戸時代に書かれた創作話。
一休という名も大悟したとき師からもらったもので、幼少時は周建って名だったしね。
その一休宗純は後小松天皇の落胤といわれており、
その墓は宮内庁管轄になってて、堂々と「宗純王墓」と書いてある。
えー。断定しちゃっていいの?
一休宗純の墓。京都の酬恩庵にある。門の隙間から撮ってみた。
こんな宮内庁の文言も
だって、酒を飲んだり女郎屋に出入りした破戒僧だよ。
そもそも「宗純王」っていい方もヘンだし。
一休宗純については坂口尚の「あっかんべぇ一休」がお薦め。絶版ぽいけどわたしの愛読書。

えっと、何のはなしだっけ。

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