2013年10月13日日曜日

[古道散歩] 武蔵国分寺あたり散策

国分寺から府中へと歩いてみる。
第一の目的は「東山道武蔵路」跡なので、
最寄り駅は西国分寺駅となる。
西国分寺駅で降りたのは実ははじめて。
いつもなら自転車で来ちゃうか、国分寺駅から歩くから。
今回は別の目的があったので最寄り駅を使う。
今日の徒歩ルート。「やまやまGPS」でロギング。

地図を見ながら駅を出て東へ向かい、
東山道武蔵路跡を見学。
思ったよりしっかり残してあって国分寺市えらい。
無駄に幅が広い歩道がほぼそのまま当時の官道跡なのだ。

地図を見ながらてきとーに線路沿いを歩いてたら、いきなりあやしげなフェンスに囲まれた空間発見。
もしやこれでは、と近づいたらアタリ。

こんな風に発掘されましたよと。
で、そこから南を見ると、
道路の脇に、同じくらいの幅のやたら広い歩道が続いてて、
そこがそのまま東山道武蔵路跡、幅も同じで、発掘された側溝の場所は
舗装の色を変えて示してくれてる。
道路のすぐ横に同じくらいの空間をとるとこが豪毅ですばらしい。
初期の官道がいかにまっすぐだったか、
まっすぐ続く街路灯を見るとわかります。


東山道武蔵路というのは、
律令時代はじめ、朝廷が全国に張り巡らせた官道のひとつで、
武蔵国国府の府中と上野・下野国(要するに今の群馬と栃木)を結んでいた。
当時の官道の特徴は「ひたすらまっすぐ」。
で、それがそっくり発掘されたのである。

まあ、地域の実情や地形を無視した「ひたすらまっすぐ」な道は
律令政治が弱体化するにつれて維持できなくなり、
やがて地域の実情にあったルートに変遷したり
もっと便利な道が開発されて廃道となったりして、
土の下に埋もれ、影も形もなくなるのだけど、
それが発掘されたのだ。
このあたり、昔は中央鉄道学園があり、それが引っ越したのちの再開発で
広い範囲を調査できたからなのでしょう。

1000年前の道の跡なんてわかるのか、というと、
大勢の人が使った道かそこだけ踏み固められたり
構造がちょっと違ってたりしてわかるんだそうです。


そんなわけで、部分的に発掘されれば当時の道筋は推定できるのだけど、
古道散歩的にはアレですな、今の道として残ってるわけじゃないので
そのまま辿ることもできず、難しいところ。
少し離れたところにも部分的な復元図が。
府中といい国分寺といい、
最近、律令時代の遺構を大事にしてくれてありがたやです。

武蔵路を堪能したら、武蔵国分寺へ。
武蔵国分寺自体は現存するけど、
それは江戸時代に作られたもので、
奈良時代、聖武天皇が全国に作らせた国分寺とは違う。
当時の国分寺は鎌倉時代末期に戦乱で焼失して以来、
土の下に埋もれてるのだけど
古くから武蔵国分寺跡として公園に成ってて、
さらに近年発掘作業が進み、
やがて、国分寺跡公園として可能な限り復元されて整備されるそうな。

今は数10年前と変わらない、無造作なだだっぴろい空き地的公園なのだけど
いずれはきれいに整備されるようです。
武蔵国分寺金堂跡

武蔵国分寺七重塔跡
で、なんやかやで、
そこで写真を撮ってたペンタックス派のカメラマンさんと話をしたりして
遊んでたら日が暮れてきたので慌てて府中へ国分寺街道を南下する。

国分寺街道はそのまま南下すると大國魂神社の参道につながるのだけど、
この参道は中世に作られたもの。
それ以前の古道(特に国府と国分寺を結ぶ参道)もある程度発掘されてるんだけど
道としては残ってないので辿れない。



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