2013年4月12日金曜日

深大寺→野川→糟嶺神社コース

久々に自転車で作例撮り散歩。

榎交差点から滝坂道にはいり、滝坂で深大寺参拝道へ。
滝坂道が狭くて混んでるのだけどこれが深大寺への最短距離だし、この甲州街道から深大寺への道ってきれいに尾根道で派交通量も少なく走ってて気持ちいいんだよな。

・深大寺と深大寺城の話

 深大寺は天平5年(奈良時代ですな)に満功上人によって創建されたお寺で、平安時代中期に天台宗になる。東京では浅草寺に続いて古いお寺。深大寺周辺には奈良・平安時代の住居跡も発見されており、その頃からそれなりの集落があったのは確か。
 南の野川や国分寺崖線からの豊富な湧水が住むのに適してたんだろう。
 狛江から深大寺あたりに土着したのは渡来人だといわれてる。
 まあ深大寺の話は本にもちょろっと書いたので興味ある人はどうぞ。
 でね、そのへんを踏まえてみるとこのあたりの地形が面白いのだ。
深大寺あたりがちょうど谷頭で、野川に向かって谷ができてるのがわかる虎狛神社あたりから谷を遡っていったところに深大寺を作ったのだ。
 もうひとつ、深大寺の右上に青渭神社がある。ここも谷頭で、延喜式内社にも比定される古い神社。これらからの湧水が一帯を潤していたのだ。
 深大寺から谷を挟んだ反対側の舌状台地には中世の深大寺城があった。
 深大寺の東側を南北に貫く道を睨んでの、戦争のための城で、扇谷上杉氏が築城したといわれてる。
 深大寺の東を南北に貫く道から深大寺城址を見るとこんな感じ。谷が天然の濠になってたんだなあというのがよくわかるわけで、その谷は今は深大寺水生植物園。
iPhone5。奥に見えるこんもりした山が深大寺城址。
深大寺から北に行くと人見街道、南に行くと品川道があるので、その両方を使って国府とつながっていたのだろうな。

・糟嶺神社周辺

 深大寺から崖線を下り、野川に出る。野川沿いを自転車で、猫や鷺の補食を撮りながら走り、狛江通りあたりで北上。糟嶺神社に立ち寄る。
 陵山と呼ばれる舌状台地の上に糟嶺神社がある。社殿は古墳の上に立てられてるといわれてるが、発掘調査はなされてないようで、古墳かどうかは不明。
OM-D。陵山からさらに一段高くなった丸山に拝殿がある。糟嶺神社。
糟嶺大神。
 粕谷氏の名前が由来ともいわれる、農業の神様。
 粕谷氏は世田谷区粕谷のあたりに鎌倉時代にやってきて一帯を領したといわれてて、粕谷村と糟嶺神社はちょいと離れているけれども、まあ中世のことだからよくわからぬ。
 世田谷から糟嶺神社へ向かう道がなかなか面白い。
 糟嶺神社から入間川を渡り、古道を走ると、七曲がりの坂につながる。
OM-D。七曲がりの坂。急坂なのでこんな風になってた。
今はNTT研修センターの巨大な敷地で、城山と呼ばれており、古墳時代や奈良時代、中世の遺構が見つかっており、実はかなり古いかも。
 NTT研修センターからの坂に江戸時代の道標がある。
 そこに、これより泉道(狛江市和泉。狛江駅前にある泉龍寺への道標)、左江戸四谷道、右世田谷目黒道と書いてある。
 左はNTT研修センターで失われた道を通して滝坂道につながっていた。江戸四谷道ってことは、甲州街道だろうから、滝坂道から甲州街道に出て江戸へ向かってねってことだ。滝坂道をそのまま東に向かうと旧粕谷村に出る。
 右はそのまま進むと六郷田無道に合流し、世田谷区世田谷に達するので、そこから大山街道(現世田谷通り)を通って目黒方面につながってた。
 ということを考えながら、自転車で坂を上るのが楽しかったりするわけですよ。現代に埋もれた道を推理するってのが楽しい。

旧入間村。青い丸は残っている道標や庚申塔。
で、作例用デジカメのバッテリが切れたので帰宅。
 GPSログを吸い上げてチェックしたら、部分的にジャンプしてる。測位し損ねたかなんかしたらしい。うーむ。最近、Edge705の調子が悪いんだよなあ。2009年1月に買ってるから、4年使ったか。
 そろそろEdge800に買い換えるか(発売当初より値下がりしたことだし。円高で値上がりする可能性もあるのでその前に!)、お金もないし、地図はiPhoneで見ればいいやってことで地図無しのEdge500にするか。徒歩移動時も使えるようeTrex30Jにも心惹かれるのだが、こっちだと地図が別売りなので、結局高くつくんだよな。eTrex30Jに地図付バージョン出してくれないかな。
 いずれにせよ、今回はちゃんと日本語版を買ってあげたい気がするのであった。どれにしよう。

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