2013年4月16日火曜日

痛すぎて愛さずにはいられないというところでしょうか

終日、
ITMediaの原稿書き。Powershot SX280HS。
ふー、なんとか間に合った気がする。
これのWi-Fiってよくできてるわ。
はやくPowershot Nが届かないかな←そっちかい

話変わって。

イケダハヤト師って全然知らなかったのだけど、
イケダハヤトvsやまもといちろう対談を見たり
最近のエントリーを見る煮付け、
イケダハヤト師が世のおっさんたちに愛されてる(といっていいんじゃなかろうか)のがわかるような気がしてきた。

なんだろな、多くの人が、18~20歳頃に通った道を、
26歳になってこじらせてるという痛さがいたたまれない感じ。
まだ若くて青くてこじらせてて単純だった頃の自分を思い出させる感じ。
きっと。だからついわかってて口を出しちゃう。
そんなおっさんの心理をついてるわけです。

最新の挨拶の話にしても、
「挨拶しろ」っていう頭ごなしの慣習に疑問を持つのは大変よいことなのだけれども、疑問を持って考えた結果、昭和な人たちが自分たちの習慣を押しつけてるだけだ的な結論に達するところが、こじらせてて可愛いなあと。いや向かう先はそこじゃないだろと。
昭和な人たちがしがみついてる数々の礼儀のひとつではあるけれども、形骸化された結果にとどまってては本質にたどり着けない。
たとえば、挨拶ってのは敵意がないこと、あやしいものじゃないですよの確認であり、互いに相手の存在に気づいてますよという確認であり、一種のフィードバックであるわけで、むしろ日本ってその手の挨拶がなさすぎる国だよ、とアメリカから帰るたびに思ってたもんです。向こうだとほっといてくれないから、積極的に怪しいものじゃないですよと示さなきゃいけないもの。
たかが挨拶ぐらい、できなくてもいいんじゃない? - ihayato.書店 | ihayato.書店

そういうことをわかった上で、でも挨拶したくないからしない、というのはそれはそれで生き方としてアリでしょうが。

そんな単純で二元論に陥りがちなところが可愛くて、おっさんたちがかまっちゃうんだろうなあ。
とこうしてネタにしちゃっている時点でやっぱりわたしもそのひとりなわけで、ツッコミドコロがありすぎて触れずにはいられないというイケダハヤト師の人徳のなせる技なのでしょう。

まあ26歳の頃、Oh!MZとかOh!Xに書いてた文章を読み返すと似たようなものかもしれないけど、初期の生原稿って残ってないんだよな。80年代は手書き原稿からMZ-2500の名前忘れたワープロソフトだったし、その後はX68000で書いてたから5インチフロッピーにはいったままだし(もう読めないだろうな)、手元に残ってる生原稿は91年9月から。
「教育的インタフェースとは何か」とか「それとない便宜に支配される国」なんてタイトルの原稿書きながら、ゲームレビューを書き、Macの話もWindowsの話もX68kの話も書き、書評も書き……と忙しかったけど遊んでたなあ。
もうすっかりおっさんなのがよくわかります。

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