2013年9月7日土曜日

[古道散歩] 鎌倉から、鎌倉古道中道を歩いて最後は田谷の洞窟へ

地図&散歩好きのともだちと相模国の古道を歩く日。
目的は鎌倉古道中道を経由しての田谷の洞窟。

・KingGPSでログを取る

ハンディGPSを忘れたので、
鎌倉駅を降りたら、iPhoneのKingGPSを起動する。
GPSログをとれるアプリはいくつもあるけど、
わたしがよく使うのはKingGPS。
KingGPS
位置情報取得間隔を最短3秒から指定できるし、
もちろんバックグラウンドでも働くし
とったログをKMLでもgpxでもtcxでもnmeaでも、好きな形式で
「Dropbox」に書きだしてくれるがすばらしい。
書き出し機能の充実がこのアプリの秀逸な点で
様々な方法が用意されているが、
わたしは「dropbox」に吐き出して貰うのが一番うれしいのである。

ログを取り終えたらDropboxにgpx形式で書き出しておき、
帰宅したらおもむろにGoogleMapを開いて、マイマップから新しい地図を作成し
(今、GoogleMapは新マップに移行中で、新マップだとGPSログの読み込みはできないので注意。新GoogleMapの気に入らないところについてはいつかまとめます。

で、注釈をつけたのがこれ。


より大きな地図で 鎌倉から田谷へ散歩 を表示

歩いたルートそのままである。いやあ、GPSログアプリって便利だわ。

・鎌倉駅から田谷の洞窟へ

鎌倉駅西口を出て、市役所前の交差点から南北(正確には北北東から南南西へって感じか)に伸びる道がある。今小路である。これが古道である。

市役所前交差点の少し南には、鎌倉郡の郡衙があったと比定されており、
平安時代にはあった古道なのだ。平安時代の鎌倉はこのあたりが中心だったのだ。

今小路を北に向かうと、右手に巽神社、やがて左手に寿福寺。
寿福寺は、源義朝(頼朝の父。源氏の棟梁だったが、平清盛との戦いに敗れて死んだ)の旧邸が合った場所に建てられたと伝わる。鎌倉五山のひとつ。
その頃から鎌倉は源氏の東国の拠点だったのですな。


明治初期の地図だとそのあたりよくわかる。
TimeToursより
TimeToursってアプリは主に古写真を楽しむものなんだけど、
実は関東地方の明治前期の地図も参照できるようになってて、
西はだいたい藤沢の手前(鎌倉はギリギリ入ってる感じ)まで見られるのだ。
東京時層地図は23区だけだからね。
というわけで欠かせません。
TimeTours

で、寿福寺裏手には源氏山。
その麓の崖に、崖をくりぬいた墓「やぐら」がたくさんある。
北条政子と源実朝の墓と伝わるやぐらはそのひとつ。
寿福寺には入れないけど、
その奥の墓地ややぐらは大丈夫なのでぐるっと回っていってみるとよし。
古の鎌倉はこんなだったのだなあ、この山に囲まれた土地が鎌倉なのだなあ
ってことを実感できて楽しい。
源氏山とその斜面にあるやぐら群

元に道に戻って踏切を渡る。
ここで踏切を渡ってすぐ狭い路地を左折。
古道に忠実に歩くとこうなるのだ。

北に向かい、丁字路を左に曲がり、線路の前で右。
明治の地図を見るとわかるとおり、もともとクランク状なのであった。

道なりに進むと、「扇谷上杉氏」の屋敷跡の碑がある。
扇谷上杉氏の本拠はここにあったのか、とちと感慨深い。
室町時代、上杉氏は関東管領であり、
山内上杉家と扇谷上杉氏が協力した揉めたりしながら関東地方を抑えていた。
江戸城を築城した太田道灌は扇谷上杉氏の家臣。

さらに進む。
右手にきれいなお堂におさめられた
岩船地蔵堂がある。
これが目印。

地蔵堂の前を右に曲がり、坂を少しずつ上っていくと
古い風情ある切通しにはいる。
ここが「亀ヶ谷坂」の切通し。
「鎌倉ものがたり」的には「猫王」がいるところ。
けっこう狭くて深く、舗装はされているものの自動車進入禁止(バイクはOk)なので
徒歩で越えるには丁度良い。
途中、六地蔵などもある。
亀ヶ谷坂の切通し

亀ヶ谷坂の切通しを越えると、鶴岡八幡宮と北鎌倉を結ぶ狭い幹線道路に出る。
これも古道であり、鎌倉古道。
北鎌倉駅方面に向かい、途中で昼飯を食い、
さらに北西へ歩く。

北鎌倉駅前をすぎ
さらに歩くとやがて小さな橋に出る。
「水堰橋」である。ここがポイント。
頼朝が軍勢を勢揃いさせた場所とも伝わる。
橋の手間を右斜めに入るのが「鎌倉街道中道」で
角に庚申塔も建っている。


鎌倉街道は「中世の鎌倉に向かう街道の総称」として江戸時代に作られた呼称。
だから京から鎌倉に向かう道も鎌倉街道であり、
鎌倉時代は幕府が、室町時代も鎌倉が東国の中心だったので、
そこから放射状に伸びてた古い道はみな「鎌倉街道」といえばそうなのだ。

その中で、特に東国にとって主要な道は「上道・中道・下道」の3本といわれてる。
中道は鎌倉から二子の渡しを渡り(たぶん。丸子の渡しとか平間の渡しとか矢口の渡しとかいう説もあるようでよくわからん。まあ鎌倉街道自体何本もあったのでどれも正解かもしれん)、
渋谷から高田馬場、雑司ヶ谷、赤羽を抜けて、岩淵の渡しで荒川を渡り、
今の栃木県、さらに奥州へとつながっていた。
いざというとき、奥州や下野国方面の御家人が鎌倉へ向かうための道だったのだ。

この鎌倉古道中道(なかつみち)、往古は鎌倉街道として賑わったろうに、
今や単なる生活道路になってていい感じ。
TimeToursより
上の明治初期の地図を見ると、成福寺(鎌倉時代開基の古刹)の上に前方後円墳みたいな形の小山がある。今はこの小山どうなってるんだろう。
と思ったら、こうなってた。

鎌倉名物「やぐら」がありました。さすが。

この道は車も少ないので、鎌倉っぽい地形や崖の洞穴や庚申塔や神社などを楽しみつつ
北上する。
途中、芝浦テクトロニクスだかの工場で道が途切れてるので迂回。
だがしかし、このまま歩くとどんどん田谷の洞窟から遠ざかる。
時計を見ると15時過ぎてる。
田谷の洞窟のような場所はだいたい午後4時でしまるんじゃないか
このままだと時間的にやばそう、
ってんで、途中で古道を捨て、真新しい幹線道路をひたすら西進。
面白そうな地形や神社があっても無視して進み、
なんとか田谷の交差点。

田谷の洞窟に辿り着いたとき16時を回っていたが、
実は拝観時間は16時半までで、ほっと一息ついたのでした。
帰りは大船までバスで。

・田谷の洞窟と鎌倉ものがたり

田谷の洞窟というのは真言宗「定泉寺」にある人工の洞窟。
いろいろと伝承はあるんだけど、
鎌倉時代に真言密教の修行のために掘られた洞窟ってのは
確かなようで、
瑜伽洞 - Wikipedia
 洞窟内は真っ暗かと思ったら、参拝客用にちゃんとところどころ照明はあるので問題なし。夏の洞窟内って外との気温差がでかいんだけど、かなり湿度が高いせいであまり寒さも感じない。
洞窟内は(順路に従えば問題ないけど)かなりの迷宮で上ったり下ったりがあって
自分が今どこにいるかさっぱりわからない上に
壁や天井に掘られたあれやこれやもあってお勧め。
ここは面白い!
撮影禁止なので洞窟内の写真はないけど。

で、洞窟内を歩いてると妙に既視感を感じる。
行ったことあるわけないし、そもそもこのあたりにくることなんてないし、
なんだろう、と訝しんでいたら、
月天の場所で思い出した。
鎌倉ものがたり(西岸良平)である。

帰宅して調べたら8巻に収録されてる第81話「秘蹟 田谷の洞窟」で
洞窟の様子が描かれていたのだ。
西岸良平だったかーーーっ。

鎌倉ものがたりを一通り読んでから鎌倉周辺散策をすると3倍くらい楽しめます。たぶん。
歩きながら「ここに妖怪が住んでて」とか「この切通しには猫王がいて」とかいいだしかねませんが、それもまたよし。
8巻は表紙がいきなり田谷の洞窟だし。kindle版もあるので、できれば1巻からどうぞ。

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