2012年10月22日月曜日

だって人はみな「つながり依存」だから

晴れてるってんで、
自転車にまたがって深大寺方面へ走り、深大寺城址を楽しんだりしつつ
単行本用の写真を撮って帰る。
深大寺に江戸時代の念仏車があったのには驚いたな。
あれって、念仏宗(つまり浄土宗や浄土真宗)だけかと思ってた。
ともあれ、自転車は観ても乗っても楽しいですな。

宇都宮で撮った写真を整理し、
作例として使えそうなものを何点か見繕って差し出す。

夜、津田さんが出るというのをTwitterで知り、NHKの「クローズアップ現代」観る。
……えっと、おもいきし違和感を感じる。
テーマはSNSにハマる「つながり依存」みたいなことなんだけど、
“つながり”から抜け出せない - NHK クローズアップ現代

司会者が、わたしはSNSをやってませんが、とドヤ顔でいうのにも呆れたけど、
一番の問題は「人は基本的につながり依存である」という概念が抜け落ちてることなのだよね。
人って原則としてつながり依存じゃないすか。
それこそ会社帰りに連れだって居酒屋にいってくだまくのだってつながり依存ですよ。どう見ても。

その一番大事なところを無視して「わたしはSNSはやってませんが(キリッ)」とされても話は進みません。
SNSに依存しないよう、タイマーをセットしてますという楽しい話を聞くと、
昭和の、電話が普及し始めた頃、長電話防止のため電話機の横に3分の砂時計を置いてますてきなシーンを思い出しちゃうほどで。

今まで実際に会うか手紙を書くしかなかったところに「電話」が登場したときのことを想像すればわかるでしょうに。

子供が深夜に長電話してる、とかが問題にならなかったっけ?
それから何10年かたって、
最近の若者はメール依存だ、って話、10年近く前になかったっけ?

つまり、人は基本的に「つながり依存」だから、よりつながりやすい新しいメディアが登場すれば、つながりたいという欲求を満たすものが登場すれば、それにハマるのが普通なのです。そのなれの果てがニュータイプですよ、時が見える、ですよ。

だから、人はみな多かれ少なかれ「つながり依存」である、
という大前提からはじめないとこの手の話はダメなんです。
ネットがどうとかSNSがどうという話じゃないんです。

その上、まったく新しいツールでありメディアなのだから、新しい概念とうまく付き合えるようになるまで時間がかかるのも当たり前なのです。

問題は新しくて面白くて大勢の人とつながるのが楽しいうれしい、という段階から階段をひとつのぼってそれが当たり前のツールとして定着したとき、SNSにどっぷりつかった上で、そのおいしいところを享受しながら過度に依存しない……たとえば自分が対応できる限度(150人とか)を超えないコミュニケーションにうまく納めるスキルや意識をどう育てていくか、その先にはどういう世界が待ってるか、が大事なんであって、タイマーを使った対症療法しててはそれには近づけません。

まあ、30分という枠組みでそこまで話を持って行くのは無理なのかもしれないけど、
昭和の感覚でSNSにあれこれいわれてもなんだかなあと思ったのでしたよ。


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